今日は、横浜みなとみらいホールまで、
飯森範親ひきいるドイツのヴュルテンベルグフィルのコンサート
を聴きにでかけた。
南ドイツ小都市のオケらしい。
土曜の14時開始で、客席もかなり埋まっていた。平均年齢高めかな。
久々にS席をとり、一階席の中央に腰をすえた。
来日オケでS席8500円というのは割と安い。
この費用で来日できるなら、万単位とるオケは儲けが大きいってことね。
一曲目は西村朗の「管弦楽のためのファンファーレ」日本初演。
ということもあってか、
コンサートの始まる5分前に、ステージ中央で指揮者と西村氏の
プレトークがあった。どちらが司会というわけでもなく、
どちらもトークに慣れていないようで、妙に会話に間があったが、
「指揮者といっても、普段は楽団員の休暇届けにサインしたり、
まだドイツ語になれていないからコミュニケーションが難しい」
「このオケは初来日なので楽団員はついでに日本観光を楽しんでいて、
朝から築地まで海の幸をたべにいった人もいる」などのこぼれ話がでた。
もちろん忘れずにロビーで売っているCDの宣伝でしめていた。
最近、クラシックのコンサートも演奏家が肉声を聞かせることが増えた。
少しづつ開かれたものにしようとしているのだろう。
さて、一曲目。もちろん初めて聴く曲。
ゲンダイオンガクも昔ほど無調だったり、実験的でもなくなっているよう。
この曲もリズムのおもしろさとメロディーの変奏でできていて、
映画音楽風な聴きやすい5分ほどの曲だった。
そのあと、前半メインのブラームスのバイオリン協奏曲。
ソリストは千住真理子さん。
オケの導入は普通だったが、ソロがはいってきたところから怪しい。
ソロの音色自体がオケから浮いているのはまあ仕方ないとしても、
ところどころ微妙に音程がずれて、聞いていて耳についてしまう。
技巧的な難所も攻略できているとは思えないし。
演奏する姿は、音楽と格闘している感がありありでちょっと悲愴的。
これで最後までもつのかなあとこちらが心配になってしまう。
私は途中からオケの音色を中心に聞くようにしてしまっていた。
ドイツのオケにしては重厚というよりはもっとしなやかなのびやかな感じ。
ブラームスの幸福だった時代の曲にあっている。
日本のオケはひいている姿がたいがいまじめだが、
海外のオケはもっと音楽を楽しんでいる感じが伝わってくるが、
このオケもそんな自分達が楽しもうとしていた。それはそれとして、
拍手喝采でおわったけど、私としてはもうひとつだった。
来月偶然にも別ソリストで同曲を聴くので、比較してみたい。
後半は、ブラームスの交響曲第一番。
これは先の曲と違って、ブラームスが渾身一滴かけた曲だから、
楽しむだけではいけません。
冒頭ティンパニ。軽くないのはいいのだが、
拍どおりきっちりたたかないのが理解不能。つまづいた感覚。
これは指揮者のせいかな。
この曲、最後までティンパニが大事なんだけどだいじょうぶだろうか。
それにたまに管が外れるし。
2楽章、魅力的なメロディーというわけじゃなんで、
平坦に演奏されていまうと、より退屈。
バイオリンソロももっと感情だしてひけばよいのに。
3楽章がすぎて、フィナーレ。
ハ短調からハ長調になり、歓喜の歌っぽいのがはいってくるところは
この曲全体の聞かせどころ、指揮者もずいぶん力はいっているのがわかる。
たぶん、楽譜どおりに演奏すると、それなりに盛り上がるように
できているんだろうということを頭で感じつつも、
このカタルシスが一掃される盛り上がりはいつきいても感動する。
全体通して、ちょっとおおざっぱな感じがした。
アンコールに答えて、「フィガロの結婚」序曲と、ハンガリー舞曲第一番。
こういうわかりやすい曲のほうが客の反応がいいのはいつものこと。
コンサート全体としては悪かったというわけではないのに、
ネガティブ感想ばかりになってしまったのは
きいてるこちらの気分がもうひとつだったってことかも。
飯森範親ひきいるドイツのヴュルテンベルグフィルのコンサート
を聴きにでかけた。
南ドイツ小都市のオケらしい。
土曜の14時開始で、客席もかなり埋まっていた。平均年齢高めかな。
久々にS席をとり、一階席の中央に腰をすえた。
来日オケでS席8500円というのは割と安い。
この費用で来日できるなら、万単位とるオケは儲けが大きいってことね。
一曲目は西村朗の「管弦楽のためのファンファーレ」日本初演。
ということもあってか、
コンサートの始まる5分前に、ステージ中央で指揮者と西村氏の
プレトークがあった。どちらが司会というわけでもなく、
どちらもトークに慣れていないようで、妙に会話に間があったが、
「指揮者といっても、普段は楽団員の休暇届けにサインしたり、
まだドイツ語になれていないからコミュニケーションが難しい」
「このオケは初来日なので楽団員はついでに日本観光を楽しんでいて、
朝から築地まで海の幸をたべにいった人もいる」などのこぼれ話がでた。
もちろん忘れずにロビーで売っているCDの宣伝でしめていた。
最近、クラシックのコンサートも演奏家が肉声を聞かせることが増えた。
少しづつ開かれたものにしようとしているのだろう。
さて、一曲目。もちろん初めて聴く曲。
ゲンダイオンガクも昔ほど無調だったり、実験的でもなくなっているよう。
この曲もリズムのおもしろさとメロディーの変奏でできていて、
映画音楽風な聴きやすい5分ほどの曲だった。
そのあと、前半メインのブラームスのバイオリン協奏曲。
ソリストは千住真理子さん。
オケの導入は普通だったが、ソロがはいってきたところから怪しい。
ソロの音色自体がオケから浮いているのはまあ仕方ないとしても、
ところどころ微妙に音程がずれて、聞いていて耳についてしまう。
技巧的な難所も攻略できているとは思えないし。
演奏する姿は、音楽と格闘している感がありありでちょっと悲愴的。
これで最後までもつのかなあとこちらが心配になってしまう。
私は途中からオケの音色を中心に聞くようにしてしまっていた。
ドイツのオケにしては重厚というよりはもっとしなやかなのびやかな感じ。
ブラームスの幸福だった時代の曲にあっている。
日本のオケはひいている姿がたいがいまじめだが、
海外のオケはもっと音楽を楽しんでいる感じが伝わってくるが、
このオケもそんな自分達が楽しもうとしていた。それはそれとして、
拍手喝采でおわったけど、私としてはもうひとつだった。
来月偶然にも別ソリストで同曲を聴くので、比較してみたい。
後半は、ブラームスの交響曲第一番。
これは先の曲と違って、ブラームスが渾身一滴かけた曲だから、
楽しむだけではいけません。
冒頭ティンパニ。軽くないのはいいのだが、
拍どおりきっちりたたかないのが理解不能。つまづいた感覚。
これは指揮者のせいかな。
この曲、最後までティンパニが大事なんだけどだいじょうぶだろうか。
それにたまに管が外れるし。
2楽章、魅力的なメロディーというわけじゃなんで、
平坦に演奏されていまうと、より退屈。
バイオリンソロももっと感情だしてひけばよいのに。
3楽章がすぎて、フィナーレ。
ハ短調からハ長調になり、歓喜の歌っぽいのがはいってくるところは
この曲全体の聞かせどころ、指揮者もずいぶん力はいっているのがわかる。
たぶん、楽譜どおりに演奏すると、それなりに盛り上がるように
できているんだろうということを頭で感じつつも、
このカタルシスが一掃される盛り上がりはいつきいても感動する。
全体通して、ちょっとおおざっぱな感じがした。
アンコールに答えて、「フィガロの結婚」序曲と、ハンガリー舞曲第一番。
こういうわかりやすい曲のほうが客の反応がいいのはいつものこと。
コンサート全体としては悪かったというわけではないのに、
ネガティブ感想ばかりになってしまったのは
きいてるこちらの気分がもうひとつだったってことかも。
久々に連城作品を読む。
最近恋愛ものが多いようだが、これはミステリ。
でも、いわゆるトリックものじゃなくて、
人間という不可解な生き物がしょせんミステリってことなんだろうが。
さて、「終章からの女」は、浮気をされた妻が夫を包丁で殺す。
そして、家を放火してその痕跡を消そうとする。
はじめは、否認し、浮気相手の女性に罪をなすりつけようとするが、
証拠が固められたことで、自白し、結局刑務所で20年。
その事件が忘れ去られようとしたころ、状況がまったく同じ事件が発生。
まさに、刑を終えてでてきたばかりであったため、
またその女がまた犯人ではないか、と警察も考えるが、
今度はまったくの他人であり、証拠もなく、
他人でなかったとしても、自分が疑われるように同じ方法で
殺していることで、捜査は難航するが。。。。
こんな調子で、女の視点、彼女の弁護人の視点、その他関係者の視点
で事件の謎が明らかになっていく。
連城作品は、真実と思っていたものが嘘で、でも実はやっぱり本当で、
みたいなところがページごとにかわっていくので、
斜め読みはできず、一文一文丁寧によんでいかないと混乱してくる。
でも、文章自体が美しく、雰囲気があるので、はまってしまう。
今回も読者に少し先を予測させて、先へ先へと引っ張りながら、
最後は連城が描くいつもの世界に収束していた。
最近恋愛ものが多いようだが、これはミステリ。
でも、いわゆるトリックものじゃなくて、
人間という不可解な生き物がしょせんミステリってことなんだろうが。
さて、「終章からの女」は、浮気をされた妻が夫を包丁で殺す。
そして、家を放火してその痕跡を消そうとする。
はじめは、否認し、浮気相手の女性に罪をなすりつけようとするが、
証拠が固められたことで、自白し、結局刑務所で20年。
その事件が忘れ去られようとしたころ、状況がまったく同じ事件が発生。
まさに、刑を終えてでてきたばかりであったため、
またその女がまた犯人ではないか、と警察も考えるが、
今度はまったくの他人であり、証拠もなく、
他人でなかったとしても、自分が疑われるように同じ方法で
殺していることで、捜査は難航するが。。。。
こんな調子で、女の視点、彼女の弁護人の視点、その他関係者の視点
で事件の謎が明らかになっていく。
連城作品は、真実と思っていたものが嘘で、でも実はやっぱり本当で、
みたいなところがページごとにかわっていくので、
斜め読みはできず、一文一文丁寧によんでいかないと混乱してくる。
でも、文章自体が美しく、雰囲気があるので、はまってしまう。
今回も読者に少し先を予測させて、先へ先へと引っ張りながら、
最後は連城が描くいつもの世界に収束していた。
アシュケナージのひくショパンの晩年の作品集のCDが
結構気に入って、なんとなく耳がさびしいときにかけている。
バラードの4番〜子守唄〜幻想ポロネーズと始まり、
ノクターン、ワルツ、マズルカと続き、最後は舟歌で締めくくる。
レコード会社の魂胆かもしれないが、この
リサイタルを思わせるプログラム構成がまずいい。
晩年の曲ばかりなので、
有名な別れの曲も英雄ポロネーズもはいっていないけれど、
これぞ大人のショパンという名曲ぞろい。
最近は指揮に専念している感じのアシュケナージだが、
まだまだ技巧のおとろえもなく、昔より自然で、暖かい演奏で、
こちらは安心してショパンの声に耳をかたむけられる。
若いピアニストがばりばりひいてもなかなかこうはいかない。
さすがアシュケナージってところ。

結構気に入って、なんとなく耳がさびしいときにかけている。
バラードの4番〜子守唄〜幻想ポロネーズと始まり、
ノクターン、ワルツ、マズルカと続き、最後は舟歌で締めくくる。
レコード会社の魂胆かもしれないが、この
リサイタルを思わせるプログラム構成がまずいい。
晩年の曲ばかりなので、
有名な別れの曲も英雄ポロネーズもはいっていないけれど、
これぞ大人のショパンという名曲ぞろい。
最近は指揮に専念している感じのアシュケナージだが、
まだまだ技巧のおとろえもなく、昔より自然で、暖かい演奏で、
こちらは安心してショパンの声に耳をかたむけられる。
若いピアニストがばりばりひいてもなかなかこうはいかない。
さすがアシュケナージってところ。

生誕250年ということで、ちょっとしたモーツアルトブームのようだ。
とはいえ、10数年前に没後200年で騒がれたばかりですけどね。
名曲の数々と生き様含めてとりあげやすい作曲家なんだけど、
これだけ消費されても、モーツアルトの価値は下がらないわけで、
これはこれですごい。
もうモーツアルトは飽きたな。ブームもこれまでか、
とかって思わないですからね。
Yahooのブログを試していたのですが、
あまりに遅く書いていてストレスたまるので
今回こちらを使ってみることにしました。
とはいえ、10数年前に没後200年で騒がれたばかりですけどね。
名曲の数々と生き様含めてとりあげやすい作曲家なんだけど、
これだけ消費されても、モーツアルトの価値は下がらないわけで、
これはこれですごい。
もうモーツアルトは飽きたな。ブームもこれまでか、
とかって思わないですからね。
Yahooのブログを試していたのですが、
あまりに遅く書いていてストレスたまるので
今回こちらを使ってみることにしました。
京王線の広告にひかれ、100円引きのクーポン券をもって、
高尾山へそばをたべにいった。
初めて訪れる土地なので、ドライブがてら久々に車ででかけることにする。
カーナビに行き先をセットしたら家から10キロ程度の近場であることが判明。
こんな近くに観光地があったのね。
渋滞することもなく、一時間もせず高尾山に到着。
駅前の駐車場は1000円もするので、どうしようか車でうろうろしてみたが、
結局ここにいれないと身動きとれなさそうなので、仕方ない。
キャンペーンするだけあって、駅前はそばやが密集している。
晴天だが、まだまだ寒い。早く暖かいものを腹にいれねば。
どの店がおいしい、とかいうのもわからないので、
客の流れがよさそう店にはいり、とろろソバを注文する。
ソバとろろも卵も混ざってしまって、全体的に薄口になってしまった。
やはりとろろはご飯にかけるのに限る。
高尾山へそばをたべにいった。
初めて訪れる土地なので、ドライブがてら久々に車ででかけることにする。
カーナビに行き先をセットしたら家から10キロ程度の近場であることが判明。
こんな近くに観光地があったのね。
渋滞することもなく、一時間もせず高尾山に到着。
駅前の駐車場は1000円もするので、どうしようか車でうろうろしてみたが、
結局ここにいれないと身動きとれなさそうなので、仕方ない。
キャンペーンするだけあって、駅前はそばやが密集している。
晴天だが、まだまだ寒い。早く暖かいものを腹にいれねば。
どの店がおいしい、とかいうのもわからないので、
客の流れがよさそう店にはいり、とろろソバを注文する。
ソバとろろも卵も混ざってしまって、全体的に薄口になってしまった。
やはりとろろはご飯にかけるのに限る。
ベートーベンの最後の3つのピアノソナタといえば、
彼の以前の作品のように自己主張が激しい曲ではない。
どの曲も始まりは非常に自然で、素直なメロディーではいる。
ある意味、イージーリスニングに近い感覚である。
しかし、3曲通しで聴いたときに現れる世界は、宇宙的なひろがりをもつ。
ベートーベンはピアノソナタを若い時期からずっと書き続けてきたわけだが、
この3曲で最後にしようときめたとか、死ぬのがわかっていた、など考えることは無意味だが、
最後のソナタの最終楽章を書いて、これ以上何をかけようか、と思ったとしてもおかしくない。
何か真実を悟り、そして、その世界に聞いている人をつれていける曲なのだから。
それほど深い内容を含んでいるため、だれもが弾けるものではなく、
単に腕に覚えがあるというだけでは手をだせる曲ではない。
だから、ピアニストが満を持してこれらの曲を録音するときには、どれも名演ぞろいだ。
今回聞いた内田光子のもそうだ。
彼女のモーツアルト、シューベルトで感じた
楽譜への忠実さからくる虚飾を配した演奏はベートーベンでも同じ。
ほとんどピアニッシモからメゾピアノくらいの音量内で、
フォルテや、和音も、繊細にコントロールされている。
第32番の第一楽章だって、もっと「熱情」的にひいてもよさそうだが、
内田に限ってはまったくそういうところはない。
そして、インテンポの演奏なのに、まったく弛緩せず、こちらの耳を集中させる。
これは、作品の力を十分信じていないとできる芸当ではないわけだ。
シューベルトを飽きずに聞かせられる力量があれば、こっちのほうが楽なのかもしれない。
さて、このCDは彼女自身のライナーノーツがあって(きっと原文は英語でそれを訳している)
彼女のこの作品の深い研究成果を書いていて、こちらも読み応えがある。
彼の以前の作品のように自己主張が激しい曲ではない。
どの曲も始まりは非常に自然で、素直なメロディーではいる。
ある意味、イージーリスニングに近い感覚である。
しかし、3曲通しで聴いたときに現れる世界は、宇宙的なひろがりをもつ。
ベートーベンはピアノソナタを若い時期からずっと書き続けてきたわけだが、
この3曲で最後にしようときめたとか、死ぬのがわかっていた、など考えることは無意味だが、
最後のソナタの最終楽章を書いて、これ以上何をかけようか、と思ったとしてもおかしくない。
何か真実を悟り、そして、その世界に聞いている人をつれていける曲なのだから。
それほど深い内容を含んでいるため、だれもが弾けるものではなく、
単に腕に覚えがあるというだけでは手をだせる曲ではない。
だから、ピアニストが満を持してこれらの曲を録音するときには、どれも名演ぞろいだ。
今回聞いた内田光子のもそうだ。
彼女のモーツアルト、シューベルトで感じた
楽譜への忠実さからくる虚飾を配した演奏はベートーベンでも同じ。
ほとんどピアニッシモからメゾピアノくらいの音量内で、
フォルテや、和音も、繊細にコントロールされている。
第32番の第一楽章だって、もっと「熱情」的にひいてもよさそうだが、
内田に限ってはまったくそういうところはない。
そして、インテンポの演奏なのに、まったく弛緩せず、こちらの耳を集中させる。
これは、作品の力を十分信じていないとできる芸当ではないわけだ。
シューベルトを飽きずに聞かせられる力量があれば、こっちのほうが楽なのかもしれない。
さて、このCDは彼女自身のライナーノーツがあって(きっと原文は英語でそれを訳している)
彼女のこの作品の深い研究成果を書いていて、こちらも読み応えがある。

